GR86 Heritage

時代をこえて愛されてきた
「みんなの86」

いまこの時に、FRスポーツが存在する価値。
“クルマ本来の楽しさ”を継承するために。
GR86
AE86(カローラレビン・ 
スプリンタートレノ)
TOYOTA 86

1983AE86(カローラレビン・スプリンタートレノ)

「ハチロク」の愛称で親しまれたAE86。
奇をてらわない前輪操舵、後輪駆動はオーソドックスで味わい深いからこそ愛される。
先代TE71から受け継ぐFRシャシーは、じつは当時でさえやや旧態依然の設計。
フロントのストラット式サスペンションはまだしも、リヤの5リンクリジッドアクスルサスペンションは独立懸架ではなく、左右タイヤは強固に連結。
イマドキで近いサスペンション方式を探すなら、トラックのリヤサスペンションである。
そこに組み合わされるのは1.6L直4ツインカムエンジン。
当時最新で、いまでも名機と謳われる4A-GEU型で130馬力を発揮。特別ハイパワーではないが、レスポンスに優れたかなり元気な部類のエンジンだ。
ライバル車やほかのトヨタ車がFFレイアウトにシフトしていくなか、先代シャシーを引き継ぐことで生まれた、FRシャシー+新型エンジンのパッケージは驚きのマリアージュを魅せた。
カローラレビン、スプリンタートレノとして登場したAE86。
900kg台の軽量ボディ、買いやすい価格、スタイリッシュなレビンとトレノのデザインはレースやラリーで活躍し、瞬く間に人気を獲得した。
しかし、その人気の源は必ずしも戦闘力にあったわけではない。
軽量ボディに元気なエンジンの組み合わせはライトウェイトスポーツの好例だが、それだけがいまも愛される理由ではない。
レースやラリーなどの競技、チューニングカーの世界でも、5リンクリジッドアクスルサスペンションは特筆すべき性能のリアサスペンションではない。
セッティングやチューニングで改善しようにも、アライメント調整をする箇所さえもほとんどない。
簡素な構造すぎていじる箇所もない。
速く、上手く走らせるにはドライバーのスキルが求められた。
その分、ドライバーの腕に応えてAE86は速く走った。
コーナーを速く駆け抜けるためには必要最小限のリヤスライドを活用し、ステアリング舵角は少なくなるドライビングが求められた。
ドリフトではなく、わずかなスライドを駆使する走りは美しくさえあり、観客を魅了した。
シンプルな構造と調整箇所の少なさは故障の少なさにも直結し、メンテナンスのしやすさでもある。
クルマ好きがみずからAE86を磨き上げ、ドライバーとともにAE86も成長していく。
そんなドライバーとクルマのちょっと特別な関係が築かれ、いつの日かAE86は「ハチロク」と呼ばれるようになった。
  • 1985年から始まったJTCではAE86が大活躍。#25ADVAN COROLLA は鈴木恵一/土屋圭市組で参戦。#18ウェッズスポーツスプリンター浅野武夫/木村雅範組は当時少なかった2ドア・トレノで参戦。
素性の良いライトウェイトFRとして
モータースポーツシーンで活躍
当時絶大な人気と参加台数を誇った富士フレッシュマンレースには、数多くのプライベーターが参戦。
趣味でレースを愉しむ人から、レーサーを夢見る若者まで多くの人がAE86でレースデビューを飾った。
1985年から始まったグループA規定の全日本ツーリングカー選手権(JTC)にはAE86で多くのエントリーがあり、ハチロク人気を絶大なものにしていった。
この頃、AE86でスライド走法を多用して速さを魅せていたのがドリフトキングこと土屋圭市選手である。
ラリーやダートトライアルでもシンプルな構造で、素性のいい走りは愛され、ハチロクで参戦する人は多かった。
必ずしも悪路の走行に適したシャシーではなかったが、そこもまたハチロクの魅力として、乗りこなす喜びがあったといえる。
そして、それらのレースカーやラリーカーが多数作られたことが、次の世代のモータースポーツ文化の繁栄につながった。
ある程度使われた競技車両は次の世代へと受け継がれ、「レースカーあるよ! 5万円で譲るよ!」なんて話からモータースポーツに足を踏み入れた人も多かった。
車両価格が抑えられていたこと、シンプルな構造でメンテナンスがしやすかったこと、そして走って気持ちよく愉しかったこと、それらの複合的な巡り合わせによってハチロクはモータースポーツで愛され、多くの人のデビューを支え、そしていまに至るまでレースシーンで活躍している。
ちなみにこの頃、レースでもラリーやダートトライアル、ジムカーナでも人気はカローラレビン。
トレノはノーズ先端のリトラクタブル・ヘッドライトの重量があることと、レビンよりもわずかにノーズが長いことから敬遠され、レビンが圧倒的な支持を受けていた。
しかし、その人気を一気にひっくり返す大きな転機が訪れる。
  • 全日本ラリーでもAE86は大活躍。ラリーやダートトライアルでは、リヤ周りのボディ剛性の高い2ドアボディが支持された。#17井上潔/大溝敏夫組(1984年DCCSラリー)、#10杉山正美/宝田直樹組(1985年ノースアタックラリー)

2012TOYOTA 86

かつてのAE86のように
ドライバーと共に進化する
「直感ハンドリングFR」をコンセプトに誕生した。
形式名のAE86はすっかり『ハチロク』と愛されるようになった。
しかし、2002年スープラ、2006年セリカが生産終了となり、トヨタからスポーツカーがなくなった。
そんな状況を打破しようと新たなスポーツカーが企画され誕生することになる。その名も『86』。
AE86の愛称である『ハチロク』からそのまま『86』と命名された新型スポーツ。
なぜ新たに登場するクルマがハチロクなのか。
それはAE86のようにユーザーそれぞれに愛されるクルマになってほしいというコンセプトがあったからである。
飛び抜けた高性能ではなく、そこそこの価格で親しみやすいスペック、
そして、個々の色に染められるオーソドックスな構造であり、アクセルで姿勢制御ができるリヤ駆動というパッケージが与えられた。
シャシーはボディ剛性に優れるモノコックを使用しつつ、荷物がたっぷり積めるようにトランクスルー構造を採用。
フロントサスペンションはストラット式。
リヤサスペンションはしなやかな動きで乗り心地もよいマルチリンクとなった。
AE86の5リンクリジッドアクスルサスペンションとキャラクターは異なるが、こちらも奇をてらった構造ではなく、一般的な構造で扱いやすさが重視された。
  • 重量物ができるだけ低い位置にマウントできる水平対向エンジン。タービンがない分、限界まで低い位置にエンジンが置かれている。
エンジンはスバルの自然吸気(NA)の水平対向エンジンFA20型を搭載。
アクセルレスポンスに優れるNAエンジンは右足で車体のコントロールを可能にした。
組み合わせられるミッションは6速マニュアルと6速オートマチックを用意。
リヤデファレンシャルは純正でトルセン式を採用。
買ってきてそのままの状態でもドリフトができる構造となっていた。
とくにハイテクなわけでも凝った構造なわけでもない。
だからこそメンテナンス費用も安く抑えられ、整備をしやすい。
アフターパーツへの交換も容易。
ノーマル状態のタイヤ、サスペンション、エンジン、ボディの組み合わせは、誰にでもスポーティな走りができ、スキルがともなえばドリフト走行するために電子制御解除も可能。
ノーマルでも十分に楽しめるスポーツカーであり、そしてさらなるカスタマイズのためのベース車としての伸びしろを残した仕様だったのだ。
スバルとの共同開発で
よみがえったライトウェイトスポーツ
現代の86を作るためにトヨタが手を組んだのは、2005年から業務提携関係になっていたスバル(当時は富士重工業)だった。
当時スバルのラインアップにFR車はなかったものの、
レガシィやインプレッサなど水平対向エンジンを縦置きにした全輪駆動車(AWD)を主なラインアップにしていた。
そのためコンパクトなボディにプロペラシャフトを通じてリアタイヤを駆動させるためのコンポーネントやノウハウがあった。
そこでその技術を活かし、86の開発に臨んだ。
ボディは高い剛性を持ちつつ軽量に仕上げられ、それが結果として1200kg台という、現代としては軽量なスポーツカーの誕生に大きく貢献している。
サスペンションもスバルの流れを汲むストラット/マルチリンク構造。
これまでに長らく使用され煮詰められてきたジオメトリーは、駆動輪のトラクション確保、しなやかなハンドリングの実現に寄与した。
エンジンはこれまでのEJ型ではなく、新開発のFA型を採用。
EJ型の特徴だったビックボア×ショートストロークの燃焼室を、ボア×ストロークが同じスクエア型に変更(ともに86mm)。
そこにトヨタの直噴技術を組み合わせ、高出力を発揮。
低回転からトルクを引き出し、アクセルによる姿勢制御を可能にした。
自然吸気だからWRXのようにエンジン下部にターボチャージャーはなし。
その分、エンジンを低い位置に搭載できた。
前後の搭載位置もバルクヘッド近くにマウントでき、フロントヘビーさはない。
極めて切れ味鋭いコーナリングが可能になった。
スバルのコンポーネントと、トヨタの最新技術が組み合わせられた86は200万円台前半から手に入るスポーツカーとして登場した。
2016年、世界の道で鍛えられ
さらなる進化を
86と兄弟車のSUBARU BRZは、スバル車の伝統に習って年次改良されていくモデルとなった。
初年度モデルはA型。翌年はB型という具合。
毎年細かな改良が加えられて徐々に進化していった。
2016年には大幅なマイナーチェンジが施されたE型が登場。
通称“後期”になった。
エンジンは200馬力から207馬力にパワーアップ。
トルクも6MTモデルのみ20.9kgmから21.6kgmに向上した。
ボディはリヤ周りの鋼板の厚みが増され、剛性感が大幅に向上。
前期は切れ味鋭いハンドリングが特徴だったが、後期はいい意味でどっしりとした安定感があり、静粛性や乗り心地などの高級感が格段に高まった。
低回転からトルクが高まったことで街乗りはしやすく、高速道路も楽になった。
前期86から後期86に乗り換える人も珍しくないほど、ブラッシュアップされた86は好評だった。
日本国内ではもちろんのこと、北米やヨーロッパでも販売され、ニュルブルクリンク24時間を筆頭に世界中のレースでも活躍。
世界中で愛され、そこから生まれた要望を汲み上げ、進化し続けて誕生したのが後期なのだ。
2013年からは86/BRZによるワンメイクレース「TOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ Race」が始まった。
改造範囲の限られたレースで自由に選べるのはホイール、ブレーキパッド、オイル、シート程度。
タイヤは指定銘柄から選択可能で、サスペンションはTRD製のみだが、車高調で車高やプリロード、アライメントのセッティングが可能。
イコールコンディションで楽しめるレースは初年度から多くの参加者を集めた。
2015年からはプロフェッショナルクラスとクラブマンクラスの2クラス制に移行。
プロクラスはスーパーGTドライバーがイコールコンディションで競う貴重な場となり、多くの観客を集めた。
クラブマンクラスはアマチュアドライバー最高峰ワンメイクレースとして、ときには100台を超えるエントリーを集めるほど。
素直なFRレイアウトの86はドライビングテクニックを磨くにも、レースを始めるにも最適で、モータースポーツの裾野を一気に広げる存在となったのだ。
プロからアマチュアまで
サーキットからダートまで
  • 全日本ラリー選手権には86R4規定車両で元F1ドライバーのヘイキ・コバライネン選手も参戦している。
そして86の登場後に一気に人気が高まったのがラリー競技だ。
AE86の時代はラリーにも人気だったが、その後ラリー人気自体が低迷。
しかし、86の登場によって潮目は変わる。
ラリーチャレンジの開催により、多数のエントリーを集めるようになったのだ。
ラリーチャレンジは入門的なラリー競技で、日曜日の1日のみ開催。
ほぼノーマルの86やヴィッツから、他社製のクルマでも参加できるラリーで参加しやすく人気。
ナンバー付きの86で走ってきて、荷物を降ろしてラリーに参加して、夕方には再び帰っていくのが普通の光景。
そんな事が可能なのも86の積載性能の高さにある。
タイヤ4本にスペアパーツ、ヘルメットなどを一式積んで2名で移動してラリーに参加できるのだ。
86乗り同士が集う場は
いまでは自然発生的に広まる
  • 写真は現行TOYOTA 86の発表時のトヨタ自動車・豊田章男会長。自身もレース活動をし、モリゾウの愛称でレースファンだけでなく多くのファンをもつ。車両開発にも積極的に関わる会長としても有名で、GR86発表時には「世界一の86ファン」であると公言していた。
TOYOTA 86発売当初には、抽選で選ばれた86台のオーナーが貸し切りにされた箱根ターンパイクに集うプレミアムなイベント、
86S(ハチロックス)がトヨタ自動車主催で開催された。
そのイベントがキッカケとなり86乗りが集まるミーティング文化が生まれ、
いまでは「86Style」(富士スピードウェイ)のような大規模なものから、86だけによるサーキット走行会、
オーナー同士が集まってお茶をするちょっとしたミーティングまで、全国各地でオーナー同士が会し情報交換をするなど、
多彩なイベントが自然発生的に開催されるようになったのだ。
車名の86にかけて、8月6日付近は全国的にイベントが多い。
カスタムする人もしない人も、競技をする人もしない人も、86にまつわる、86が好きな人がどんどん集まり、輪を作って仲良くなる。
そんな文化を86 は作ってくれた。
オーナーの個性が光る
十人十色のカスタム
世界最大のチューニング&カスタムカーショー「東京オートサロン」。
ここでは86登場初年度からつねに中心には86がいる。
スポーツ系からドレスアップ、ラグジュアリー系などあらゆるカスタムの提案がされ、オーナーの個性はそれ以上に広がった。
カスタムパーツは世界中で作られ、それらは国境を超えて飛び交い、自分だけのオリジナルスタイルを作り上げてきた。
まさに86は“ハチロク”になった。
そして、そのハチロク文化はとどまることを知らず、これからも広がり続ける。
ラリーやワンメイクレースなど
ジャンル、世代を問わず愛されてきた
TOYOTA 86は「ドライバーの相棒」となった。